脱がない農業(トマト農園編)

脱サラとは

会社勤めに疲れたサラリーマンが、自己都合退職し、再就職せずに、個人事業を始め、新しく事業を開始することを「脱サラ」といいます。人間関係に疲れて、「脱サラ」でトマト農園を始めたがる人も多いことでしょう

時間に余裕のある組織に再就職して、副業として事業をする場合は、脱サラとは呼ばれません

このことから、「脱サラ」とは、覚悟をした者に与えられる称号といえるでしょう。

なお、新しく会社等の法人を設立して事業をするのであれば、その法人から役員報酬としてサラリーをもらうことになります。ですので、厳密には、新しく会社を立ち上げ役員となる場合は「脱サラ」にはあたらないというべきです。

それでは、どのような「覚悟」が必要なのでしょうか。

経理や掃除などを自分ですることも必要となりますが、これらのストレスは些細なものです。

最大のストレスは収入の不安です。以下では、①定期収入を得られないこと、②既存顧客がいないこと、③新規顧客を獲得し難いことの3つの視点から検討します。

脱サラに必要な覚悟

カバンがない

「脱サラ」というからには、サラリーの衣を脱ぐことになります。つまり、給与所得を得られる労働者ではなくなり、事業所得者たる個人事業主となります。

労働者であれば、賃金の毎月払いの原則が適用されます。すなわち、賃金は、毎月1回以上、一定の期日を定めて支払わなければなりません(労働基準法24条2項本文)。

「脱サラ」には、この賃金毎月払いの原則を失う覚悟が必要です。これまで当たり前のように毎月入金されていた「給料日」を失うのです。

例えば「脱サラ」してトマト農園を始めると、まずはトマトの種を植えることから始めなければなりません。種から芽が出て、トマトが生長し、収穫し、購入してもらえるまで、何か月もトマトを売ることはできず無収入の状況が続きます。

日々減っていく預貯金残高。皆さんは耐えられるでしょうか。

地盤がない(既存顧客との関係)

定期収入がない以上は、自分で稼ぐ必要があります。このとき、退職前の会社の取引先などの既存顧客からの仕事の獲得は見込めるでしょうか。

法律上の問題としては、会社の取引先を奪って開業しても良いのかという問題があります。

この点については、退職後の競業避止義務を定めた就業規則や特約がなければ、原則として競業避止義務は負いません。例外的に、「営業担当であったことに基づく人的関係等を利用することを超えて、会社の営業秘密に関わる情報を用いたり、会社の信用をおとしめたりするなどの不当な方法で営業活動を行った」(最高裁判所平成22年3月25日判決)などの事情があれば信義則上の競業避止義務が認められる場合があります。

他方で、退職後の競業避止義務を定めた特約がある場合は、ケースバイケースとなります。具体的には、競業禁止の期間、場所的範囲、制限の対象となる職種の範囲、代償の有無等を考慮し、特約の締結について合理的な事情がなければ、当該特約は公序良俗に反し無効となるため、競業避止義務は負いません。

また、営業秘密に該当する顧客名簿を持ち出した場合には、不正競争防止法違反として民事及び刑事上の責任を負う場合があります。営業秘密に該当するか否かは、①秘密管理性、②有用性、③非公然性の3つの要件を満たしている必要があります。

しかし、仮に法律上の問題がないケースであるとしても、事実上の問題として、会社の取引先が皆さんに着いてきてくれるかは別です。

「脱サラ」をしたい人には、現在の人間関係に疲れてしまった人も多いです。人間関係に疲れているわけですから、むしろこれまでの人的関係をすべて解消したいと思っているのではないでしょうか。

そうであれば、「脱サラ」は既存顧客といった地盤を失った状態でスタートしなければなりません。「脱サラ」には地盤を失う覚悟が必要です。

もっとも、「脱サラ」してトマト農園を始めるのであれば、全く別の職種に就くのですから、最初から地盤はほぼないといって良いかもしれませんね。

看板がない(新規顧客との関係)

新規顧客の開拓も必要です。会社で営業職であったから、営業は問題なくできるというものではありません。前職が営業であっても経理であっても、個人事業主となれば看板を失います。

ユーザーは、リピーターでない限り、商品やサービスの品質を体験していません。そのため、ユーザーは、会社名や商品名などの看板から、品質が保証されているであろうと推測し、購入しています。商号や商品名、サービス名などの看板には品質保証機能があるのです。

トヨタ自動車がある商品を新発売するとして、新発売であれば、まだ誰もその商品の品質を体験していないはずです。しかし、トヨタ自動車が長い年月をかけて獲得した商号や商品名への信頼があるため、一定の品質が保証されているという安心感から商品が売れているのです。トヨタ自動車の営業マンは全員腕が良いから売れるというわけではありません。

そのため、看板を失った個人事業主は、たとえその商品やサービスが良質であるとしても、ユーザーからの信頼はほぼゼロの状態での営業をしなければなりません。商品やサービスに知名度がないのです。

したがって、「脱サラ」には、品質を保証してくれていた看板を失う覚悟が必要です。

合コンやマッチングアプリで、商社勤務といった看板を表示できなくなるとどうなるかを考えるとわかりやすいかもしれませんね。

脱サラで得られるもの

収入を得られないということは、原始時代でいえば、狩りで獲物を得られない原始人になるということです。獲物を得られなければ飢え死にしますし、家族も養えません。同僚からも冷めた目で見られるでしょう。

そのような危険を冒すメリットを考えるためには、「労働者」とは何かを考えるのが有益です。

「労働者」とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者をいいます(労働契約法2条1項)。

【他の定義】

「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう(労働基準法9条)。

労働者に該当するか否かの判断は、主として、①指揮監督に基づく労務の提供と、②労務に対する対償の2つの視点から検討されます。

②の「労務に対する対償」は、毎月定期的に支払われる賃金のことですから、これを失うことは「脱サラ」のデメリットであることは既に検討しました。

①の「指揮監督に基づく労務の提供」をさらに分析することは、「脱サラ」のメリットを知るために非常に有益です。

1 仕事の諾否の自由

指揮命令関係があるか否かの判断では、仕事の諾否の自由が非常に重要です。諾否の自由があれば、労働者性を否定する方向の事情となります。ある関係者から「A社のウェブサイトを制作して欲しい」と言われて、「嫌です」と言える場合は諾否の自由があることになります。

すなわち、「脱サラ」のメリットは、したくない仕事はしなくて良いという点であると見出すことができます。

ピーマンを作りなさいという指示を無視して、自分の願望に従ってトマトを栽培すれば良いのです。

2 業務内容及び手順の指示、進捗の把握

また、会社が、業務の具体的内容や遂行方法を指示し、業務の進捗状況を把握、管理している場合には、労働者性を肯定する事情となります。「A社のウェブサイトはワードプレスで作ること、毎日作業結果を報告すること」などと言われている場合です。

すなわち、「脱サラ」のメリットは、細かいやり方まで口出しされなくて済むという点であることがわかります。

トマトを栽培するとして、伝統の土耕栽培でやりなさいと言われることはなく、自分の意思で水耕栽培を選択することができるのです。

3 勤務時間及び勤務場所の拘束

勤務時間と勤務場所が決められていると、労働者性を肯定する事情となります。午前9時から午後5時まで、本社で働くなど決められている場合です。

すなわち、「脱サラ」のメリットは、いつ、どこで働くかは自分で決めて良い点といえます。

伊豆大島でランチの後は2時間のシエスタを設定してトマト農園をしても良いのです。

4 労務の代替性

自らの判断で補助者を使うことができるなど、労務の提供を他者で代替できる場合には、労働者性を否定する事情となります。

すなわち、「脱サラ」のメリットは、自分の仕事を他人にさせることができる点にあります。

トマト農園の収穫時期に腰が痛ければ、収穫はアルバイトを雇ってやってもらうこともできます。

現代の裸族

以上のとおり、「脱サラ」は、収入に対する極度の不安を与えられるのと引き換えに、労働者に課される様々な制約から解放されることができます。

金銭的不安定と自由の獲得という2つの大きな要素が共通している点で、無職と類似していますね。

無職と紙一重である以上は、ほとんどのサラリーマンにとって、「脱サラ」とは相当な覚悟が必要なものなのです。

ところが、日本社会には、相当な覚悟を持つことなく簡単にトマト農園を始めることができる職種があります。それが個人事業主です。

※農地法の制約はあります。

個人事業主は、収入が不安定になることを怖れません。もともと収入が不安定だからです。

個人事業主は、自由に仕事をする価値を理解しています。今更サラリーマンには戻りたくない、あるいは戻りたくても戻れないという意識の人が多いです。

そのため、個人事業主は、たいした覚悟もなくトマト農園を始めることができるのです。

※農地法の制約はあります(再掲)。

そもそも、個人事業主はサラリーを貰っていないので、「脱サラ」ではありません。「脱サラ」をしなくても、トマト農園を始めることができるのです。

サラリーの衣を脱がなくても、好きな事業を始め放題なのですから、自由の象徴ともいうべき職業でしょう。もっとも、それが無職と紙一重であることは既に述べました。

個人事業主は、サラリーの衣を脱がないというよりは、はじめから裸なのかもしれませんね。

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